阿刀田高 この道 「夏目漱石 2」 17/08/23 東京新聞夕刊より

阿刀田高 夏目漱石の続き2/2 です

 われらが夏目漱石について、もう少し私の勝手な考えを記そう。
 
 漱石が広い知識と深い洞察力を持った文学者であったことは疑いない。
人間としてヒューマニストであり、良心の人でもあったろう。
 しかし明治という時代には、

  ーどうしようもなかったんだろうなあー

 漱石の小説には、女性軽視がまちがいなく伏在している。いや、顕在も見える。漱石の本意ではなかったとしても時代がそれを綴(つづ)らせている。ふと気がつくと、女性で「漱石、大好き」という読者は、現代ではわりと少ないのではあるまいか。

 『こゝろ』についてはすでに触れた。❝妻に恐ろしい真実を語るのは、あまりにもむごいから❞というのが❝先生❞の沈黙の第一の(この理由だけではないにしても)理由なのだからこれは悪く言えば❝女は馬鹿だから真実を明かさない❞に近い。

        

 少しくわしく言えば『門』においてはお米が安井と別れたとき、彼女の意志はどこにあったのか、肝腎なところが抜けているし、『行人』では女性を信用してないし、『道草』には、はっきりと女性の愚劣さが言葉になっている。

 ー漱石は人間の平等を熟慮し、ことさらに女性を軽視するつもりはなかっただろうー

 とは思うが、作品の底部にはそれが流れている。

 「流れてたっていいだろ。明治の文学なんだし…それも一つの判断だ」

 という声もあるだろうし、それを私はまちがった文学観とは思わない。

 が、少なくとも漱石をして国民的作家として敬愛するならば、今、この二十一世紀において、女性の立場を熟慮すべきこの国において、

 ー女性軽視は国民的文学ではありえないー

 これが私の漱石観である。浅慮かもしれない。

 昨今は『夢十夜』が好きだ。自分の創作の深いところで、ほとんど無意識に近いところで
示唆がある。漱石の文学は一生読み続けてきたので、読んだ年齢ごとに印象がちがい、そこがおもしろい。

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以上です。

私は、以前から漱石が好きでしたが(中学でこゝろを教科書で読んで以来)その後何年か経って、何十年かもしれませんが、阿刀田高さんと同じ感想を持ちました。

特に最近こゝろの主題はともかく、勝手に自殺した先生があまりにも身勝手で、そして、ただでさえ自分を責めがちな奥さんが、先生の真実の死因を知らずに、煩悶する後半生を思った時に、何とも言えない悲惨な感じを持ちました。
 先の記事「夏目漱石1」にも書きましたが、阿刀田高さんの文を読んで今更ながら、やはりそうだったんだ、と思わざるを得ませんでした。

でも、誰もそのようなことをいう人はいずにここまで来ましたが、何気ないこのような色々な場面における「差別」のようなものが、最近ようやく肌身にしみるようになってきました。
それほどに、様々な「差別」の根は深く、当たり前のこととして日常にはあったのでしょう。

 差別とは、男女間のことのみに非ず、全てに通ずるものですが、それもが全て「当たり前のこと」として生活の中にあったことに、気づけるようになったような気がします。

人権というものに、やっと本気で目が向けられる時代を迎えたのかもしれません、やっと今?